東京地方裁判所 平成9年(ワ)18936号 判決 1999年7月01日
主文
一 被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成九年一〇月一日から支払済みまでの年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 被告は、自ら別紙一差止行為目録記載の各行為をしてはならず、かつ、第三者をして右各行為をさせてはならない。
三 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
五 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
理由
【事実及び理由】
第一 請求の趣旨
一 被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する平成九年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 主文第二項同旨
三 被告が主文第二項に違反したときは、被告は、原告に対し、本判決送達の日から違反をした日につき一日二〇万円の割合による金員の支払をせよ。
第二 事案の概要
一 本件は、その営業所付近において定期預金を承諾なしに解約された旨のビラを配布するなどされた銀行が、これにより名誉信用を毀損され、業務を妨害されたことを理由として、右配付等の行為をした者に対し、損害の賠償及び遅延損害金の支払を求め(この請求を以下「本訴損害賠償請求」という。)、併せて、右配付等の行為の差止めを求める(この請求を以下「本訴差止請求」という。)とともに、右配付等の行為の不作為義務の履行を確保するための間接強制として被告に原告に対する金員の支払を命ずべきであると主張し、その旨の給付判決をも求める(この請求を以下「本訴違反金請求」という。)ものである。
二 被告のビラ配布等に関する基本的事実
以下の事実中、括弧内に証拠を挙示したものは、当該証拠によってこれを認める。その余は、当事者間に争いがない。
1(一) 原告は、銀行業を営む株式会社である。被告は、もと、原告と秋葉原東口支店において銀行取引をしていた者であり、平成二年七月八日八〇〇〇万円を定期預金(総合口座定期預金スーパーMMC、以下「本件預金」という。)として預け入れた。本件預金については、同年二月一九日付けで期限前解約の処理がされ、その払戻金は、原告に対する被告の貸金債務の弁済に充てる処理がされた。
(二) 被告は、原告に対し、平成元年一〇月二四日銀行取引約定書を差し入れているところ、右銀行取引約定書においては、次の約定がされていた。(《証拠略》)。
(1) 被告の債務の一部についてであっても、その弁済期が経過したときは、被告は、原告の請求により、原告に対するすべての債務につき期限の利益を失い、残額全部の弁済期が到来したものとみなされる。
(2) 期限の利益の喪失その他の事由によって、被告が、原告に対する債務を履行しなければならない場合には、原告は、右債務と被告の預金その他の原告に対する債権とを、右債権に係る弁済期の如何にかかわらず、その対当額において相殺することができる。
2 被告は、平成九年四月二一日以降原告秋葉原東口支店付近において、「三和銀行に反省を促す会」を名乗り、被告ほか一名の名を記載した「預金者の皆様へ」と題する別紙二のビラ(以下「本件ビラ」という。)を、自ら、また他人を使って通行人に配付するようになった。被告は、同月三〇日からは、原告東京本部付近においても本件ビラの配布を開始した。
原告は、被告に対し、同年五月二八日付け通知書をもって、本件ビラの配布の中止を求めた。
被告は、さらに、同年六月二日以降原告の川崎支店付近においても本件ビラの配布を開始した。
被告は、同月一二日以降、「三和銀行に私は会社を潰されました」、「三和銀行は私の定期預金を勝手に解約し」などと記載したプラカードを着装したサンドイッチマンとなって原告の秋葉原東口支店、東京本部及び川崎支店付近の公道を行き来し、また、他の者に同様の行為をさせ、もって右プラカードを公道上に掲示している。
右のほか、被告は、原告の秋葉原支店、内神田支店、日比谷支店、虎ノ門支店及び横浜駅前支店の付近においても、本件ビラの配布及びサンドイッチマンによる右と同様のプラカード掲示を行っている。
3 原告は、被告を債務者として、平成九年六月一七日当庁に、別紙一差止行為目録記載の各行為の禁止の仮処分を申し立て(同年(ヨ)第三三九九号事件)、当庁は、同年七月三日債務者(本件被告)は、自ら右各行為をしてはならず、かつ、第三者をしてこれをさせてはならない旨の仮処分決定(以下「本件仮処分決定」という。)をした。
4(一) 被告は、本件仮処分決定がされた後も、平成九年一〇月一日まで、原告の秋葉原東口支店、川崎支店、秋葉原支店、内神田支店、日比谷支店、虎ノ門支店、横浜駅前支店、赤坂支店及び青山通支店の付近において、本件ビラと同趣旨のビラを通行人に配付したり、サンドイッチマンにより前記同様のプラカードを掲示したりした。
(二) さらに、被告は、平成一〇年一月二一日から同年一〇月六日までの間にも、原告の秋葉原東口支店及び東京本部の付近において、同様の行為をした(《証拠略》)。
三 争点及びこれに関する当事者の主張
前記二2、4の被告の本件ビラ配布及びプラカード掲示の各行為は、原告に対する違法な加害行為を構成するか、それとも、被告の主張する事情により違法性のないものとされるか。
1 原告の主張
(一) 本件ビラ及び被告の掲示に係る各プラカードには、「三和銀行に私は会社を潰されました」、「三和銀行は私の定期預金を勝手に解約した」などの表現があり、これは、原告が違法又は著しく不当な行為をしているとの事実を摘示するものである。被告の行為は、右ビラ及びプラカードを不特定又は多数の者の目に触れる状態にするものであり、信用が重視される金融機関としての原告の社会的評価を著しく損ない、その名誉を侵害するものである。
また、「三和銀行は私の定期預金を勝手に解約した」との被告の摘示する事実は、後記(二)(1)のとおり虚偽であり、被告は、このような虚偽事実をまことしやかに掲げて、これを不特定又は多数の者に伝播して原告の社会的信用を傷つけ、よって、その金融機関としての円滑な業務遂行を著しく困難ならしめたものである。
(二) 被告の摘示事実は、次のとおりいずれも真実性を欠く。
(1) 「三和銀行は私の定期預金を勝手に解約した」との摘示事実について
被告は、本件預金を解約した平成四年二月当時原告に対し約四億三〇〇〇万円の借入残があり、元金の返済はおろか、利息の支払も怠っていた。かように高額の貸付金の返済を交渉している相手方に対し、利率がよいからといって、原告従業員が期限前の定期預金の書換えを勧めるなどということは到底考えられない。また、被告が元利金の返済を怠っている以上、原告としては貸金の期限の利益を喪失させ、相殺によって本件預金を貸金の回収に充当することは可能であった。しかし、原告の担当者は、期限の利益喪失による被告の不利益を考慮し、被告に対し、本件預金の解約を説得したのである。より大きな不利益を回避するため、被告がこの説得を受け入れたのは当然である。
本件預金は、かかる経緯で解約されたのであり、右摘示事実は、真実に反する。
(2) 「三和銀行に会社を潰された」との摘示事実について
被告の倒産は、借入先の確保失敗等の様々な要因によって発生したことであり、本件預金の解約による貸金回収とそれとの間には、何ら直接的な因果関係はない。そもそも、債権者たる金融機関が延滞している貸付金の回収を行うのは、当然の権利である。仮に、原告の貸金回収行為が被告倒産のきっかけになったと仮定しても、それは、被告の経営責任の問題に帰すべき事柄である。被告が、「三和銀行に会社を潰された」などと主張することは、事実に反し不当である。
(三) 次の各点からすれば、被告の行為が専ら公益を図る目的でされたと解する余地はない。
(1) 被告は、本件預金解約後五年以上もの間原告に何ら抗議をせず、平成九年三月になって突如前記の名誉毀損行為を開始した。もし、原告の不当な行為を指摘して公益を図るべく表現行為をするというなら、直ちに行動を起こして公衆に訴えなければ、適時性という点で意味がないはずである。
(2) 被告の掲示に係るプラカードには「定期預金八千万円を返せ」との記載がされたものがあり、この点にかんがみれば、被告自身が利益を得ようとの意図も垣間見える。
(3)ア 原告は、株式会社丙川及び丙川松夫(併せて以下「丙川ら」という。)を債務者として、平成八年横浜地方裁判所川崎支部に、プラカードの掲示等の禁止の仮処分を申し立て(同年(ヨ)第一二三号事件)、同裁判所は、平成九年三月三一日債務者らに対し、「三和銀行は、書類を偽造、変造している」、「三和銀行は大嘘つきである」、「三和銀行は、金利、差損金を二重取りしている」との内容又はこれと同旨の内容の原告の名誉、信用を毀損するプラカードの掲示等を禁止する仮処分決定(以下「前件仮処分決定」という。)をした。原告はまた、丙川らを被告として、平成八年同裁判所に、右掲示等による名誉等の侵害に基づく損害賠償請求の訴えを提起し(同年(ワ)第二九七号事件)、同裁判所は、平成一〇年一〇月二八日請求を全部認容する判決をした。
丙川らは、右の仮処分申立事件及び訴訟事件において、右掲示等は、「三和銀行に反省を促す会」の行動であって、自らは関与していない旨の主張をしていた。この主張は、前件仮処分決定及び右判決において一蹴された。
イ 丙川らは、前件仮処分決定において右主張が斥けられたことから、危惧感をいだき、右主張を裏付けるため、急遽被告を前面に立てて原告への「抗議行動」をさせたのであり、これが平成九年四月二一日に開始された被告の前記二2、4の名誉毀損行為である。本件預金解約後五年間何もしなかった被告が突然の行動を開始した目的は、右の文脈において初めて理解し得るものである。
以上のほか、被告は、借入れや生計援助を受けることを通じて丙川らに支配され、服従する関係にあるといえること、被告は丙川らから車両を借りた上その「抗議行動」に参加していたこと、被告は、丙川らからの援助がなければ到底「抗議行動」を続けられるような経済状態にないことをも併せ考慮すれば、被告の前記行為は、丙川らの原告に対する名誉毀損又は業務妨害の行為に加担し、それを援護することを目的としたものと認めるべきであり、そこに公益目的などは、微塵もないというべきである。少なくとも、それが専ら公益を図る目的に基づくと認め得るという事情は存在しない。
(四) 被告が、前記プラカード及び本件ビラに記載した摘示事実は、原被告間の私的取引についてのトラブルに係る事実に過ぎないのであり、銀行たる原告の社会的地位を考慮したとしても、これをもって公共の利害に係る事実とはいえない。
2 被告の主張
(一) 被告は、平成三年七月原告からの借入金の返済のため自宅不動産を売却した上、売得金のうち八〇〇〇万円を譲渡所得に係る所得税等の納付資金として納期限まで預金することとし、原告の定期預金(本件預金)とした。
被告は、原告の秋葉原東口支店の支店長代理原正敏(以下「原支店長代理」という。)から、平成四年二月一九日右定期預金を、より利率のよいものに書き換えてはどうかと勧められたので、これを承諾したが、定期預金証書及び登録印章がその場にはなかったため、これらは、翌日妹である甲春子(以下「春子」という。)をして同支店に持参させることとした。
春子が、翌二〇日同支店従業員の指示のとおりに、右定期預金証書に押印するとともに、何枚かの書類に署名押印して渡したところ、書換後の定期預金の証書は貰えず、同支店従業員から、借入れの返済に充当させて貰ったと言われた。
(二) 原告としては、各金融機関からの借入れにつき前記売得金による返済計画を勘案しており、原告及びその他の主要な借入先に対する返済の目処は立っていたが、原告の右行為によりすべてが水泡に帰した。
その後、原告は、前記納期限まで納税資金の金策に奔走したが、奏功せず、結局、国及び東京都によって財産を差し押さえられ、経営していた古紙回収業の会社も倒産の憂き目となった。
(三) 被告が本件ビラ配布及びプラカード掲示の抗議行動に踏み切ったのは、自分のような犠牲者の出ることがないように世間に注意を促すとともに、原告が営利第一主義を反省し、人々から愛される銀行になって貰うためであり、公共の利益を目的としている。
(四) 被告は、本件仮処分決定がされた後には、プラカードの文言を、「三和銀行に私の定期預金(納税準備金)八千万円を借入金と相殺されたため私は譲渡税を支払えず国税局から差押さえされ会社は倒産しました」、「三和銀行は私の定期預金(納税準備金)八千万円を返せ!この定期預金は自宅売却の譲渡税を国税局に支払うための税金です」と改め、本件決定に抵触しないようにした。
第三 当裁判所の判断
一 争点について
1 前記第二の二2、4の争いのない事実のとおり、被告は、原告の営業所付近の公道上で、「三和銀行に反省を促す会」を名乗り、「預金者の皆様へ」と題し、原告が被告の定期預金を承諾なしに解約して被告に対する貸付けの返済に充てた旨を記載したビラ(本件ビラ)を配布し、また、「三和銀行に私は会社を潰されました」、「三和銀行は私の定期預金を勝手に解約し」などと記載したプラカードをサンドイッチマンが着装し、これを掲示したものである(《証拠略》によれば、その期間は、平成九年四月二一日から平成一〇年一一月六日までにわたり、原告の東京本部のほか九か所の支店において、延べ二七一回に及んだことが認められる。)。このような行為は、不特定又は多数の者の目に触れることはいうまでもなく、かつ、これを見る者に、原告が銀行業務の遂行に当たり、取引先との間の合意によらなければならない事項を独断専行し、よって当該取引先に損害を被らせたとの観念を植え付けるものであることが明らかである(被告が前記第二の三2(四)に挙げる本件仮処分決定がされた後の表示の文言も、右と評価を異にすべきものではない。)。
してみると、被告の右行為は、銀行業を営む原告の社会的評価及び信用を低下させ、その名誉を毀損するものであって、特別の事情のない限り原告に対する不法行為を構成するというべきである。
2 被告の主張は、右特別の事情あるいはいわゆる真実性の抗弁をいうものと解し得るので、以下これについてみる。
(一) 被告の前記行為は、第一に、原告が被告の意思に基づかないで本件預金の解約の処理をしたとの事実を摘示して、原告の名誉を毀損したものであるところ、《証拠略》中には、右摘示事実は真実であるとの趣旨をいう部分がある。
(1) そこでその採否について考えるに、被告の主張するところによっても、被告の妹である春子は、被告の依頼により、平成九年二月二〇日本件預金に係る定期預金証書及び登録印章を託され、これを原告の秋葉原東口支店に持参し、同右定期預金証書に押印をするとともに、何枚かの書類に署名押印をして同支店従業員に渡したところ、書換後の定期預金の証書は貰えず、同支店従業員から、借入れの返済に充当させて貰ったと言われたというのであり、この事実関係を前提としても、春子は、被告の代理人として本件預金の解約に応じたものと優に認定されるところである。しかして、《証拠略》によれば、同月一九日付けで、本件預金につき払戻請求書が作成され、その被告作成名義部分にはその登録印章が押捺されていること、原告は、被告に対し、平成三年一〇月二四日の弁済期に係る元金一億五〇〇〇万円の手形貸付けがあったところ、これにつき平成九年二月一九日付けで元金八〇〇〇万円の内入れ弁済があったとの処理がされていることが認められる。
以上にみたところからして、被告の前記供述部分は、既に採用の限りでなく、むしろ、春子は、同日ころ被告の代理人として本件預金を解約し、その払戻しを請求した上、払戻金をもって右のとおり貸付けの一部弁済をしたものと判断される。
(2) 被告は、本件預金は、自宅不動産の売得金のうち八〇〇〇万円を譲渡所得に係る所得税等の納付資金として納期限まで預金することとしたものであるから、これを原告からの借入れの弁済資金に転用することはあり得ないという趣旨の主張をする。
しかしながら、被告は、平成三年一〇月二八日当時原告に残元金四億二七五九万六〇〇〇円の借入れがあり、平成四年二月二〇日ころは、右手形貸付けに係る返済を約四か月にわたり遅滞しており、原告の原支店長代理からその善処方を求められていたほか、他の金融機関からの借入金もあった(平成七年一二月二五日当時には、株式会社アプラスに対する債務残額が二億七〇〇〇万円となっており、これを含め、負債の整理は不可能な状態に立ち至っていた。)のであるから(右(1)の認定事実及び《証拠略》によってこれを認める。《証拠略》中これに反するかのような部分は、曖昧かつ不合理であり、措信に値しない。)、前記第二の二1(二)の約定により、ひとたび原告から請求をされれば、原告に対する債務全部について期限の利益を失い、預金債権も、借入債務との相殺に供されることを逃れられない立場に置かれていたのである(そして、右のような多額の債務につき期限の利益を失い、銀行取引を修了されれば、自己の営む古紙回収業が倒産の危機に瀕することは、被告にとってもとより見易いところである。)。そのような被告としては、原告に対する債務の全部について期限の利益を回避し、事業の当座の継続が可能となるのであれば、所得税等の納付準備のことはひとまずさて措いて、事業継続の途を選択するというのも、決して不可解なことではない。そうであるとすれば、本件預金が所得税等の納付資金であったとしても、それゆえに、被告がこれを借入返済金への流用に応ずるはずはないとは断ずることはできない。
(3) 被告はまた、原告の秋葉原東口支店の原支店長代理から、平成四年二月一九日本件預金をより利率のよい定期預金に書き換えてはどうかと勧められたので、これを承諾し、翌日春子を差し遣わしたのであり、本件預金の払戻請求については承知していなかったという趣旨の主張及び供述をする。
しかしながら、右(2)にみた被告に対する当時の貸付け及び回収遅滞の状況にかんがみると、被告をして本件預金を別口の利率の高い定期預金に書き換えさせても、特別の事情のない限り、原告にとっては、経済上又は取引の処理上これといって得るところはないものと推量されるのであり、原告の担当者においてこのようなことを被告に勧奨する理由を見出し難く、右特別の事情も見当たらない。この趣旨を述べる原支店長代理の供述記載は、採用すべきであり、被告の右の供述を採用することはできないから、右主張は、前提を欠くこととなる。
(4) 以上のとおりであるから、原告が被告の意思に基づかないで本件預金の解約の処理をしたとの摘示事実は、真実であるということができない。
(二) 被告の前記行為は、第二に、被告が原告に会社を潰されたという事実を摘示したものであるところ、甲第二四号証の被告の供述記載によれば、被告の経営していた古紙回収業の会社は、平成四年ころ事実上破綻したというのであるが、その一方で、被告は、右供述記載及び本件の本人尋問において、右会社は、被告の弟である甲竹夫(同人は、もとは右会社の従業員であった。)が被告に代わって代表者を務め、経営の実権を握っており、被告は、右会社に雇用されている旨、そのほかの従業員も、引続き雇用されている旨、平成七年ころには、被告は、自ら古紙回収業を行っていた旨をも供述しているのである。また、被告は、右会社が破綻したといいながら、右会社は任意又は法律上の整理がされたのかどうか、整理がされなかったのであるとすればどのようにしてそれを回避し得たのか、実質的な経営権を甲竹夫に譲った理由は何かといった点については、合理的な説明をしていない。
そうしてみると、右供述記載中、被告の経営していた古紙回収業の会社は、平成四年ころ事実上破綻したという部分は、直ちに措信することができず、右会社が倒産したという事実自体が、必ずしも証拠上肯認するに足りるものではないこととなる。
その点は暫く措くとしても、原告が前記手形貸付けにつき、本件預金の払戻金をもって一部弁済を受けたことは、債権者としての正当な権原に基づくものであり、何ら咎められるべきことではない。したがって、仮にこれが被告のいう会社倒産の端緒となったとしても、それは、原告の所為により被告がその会社を潰されたというような、故意による加害を想起させる表現をもって言い表されるべき事柄ではないのである。しかるに、被告の前記摘示は、これを見る者をして、原告がことさら被告に対する加害行為に出たかのような誤解を生じさせるものというべきであり、これをもって、事実を正しく反映した摘示であるとは到底いうことができない。
そうであるのみならず、被告は、そのいうところの倒産の原因について、本件預金の払戻金が借入返済に充てられたことにより、各金融機関に対する返済計画が実行不可能となり、また、納税資金の金策が奏功せず、結局、国及び東京都によって財産を差し押さえられたので、会社が倒産したというのである。このような被告の説明自体によっても、また、前記(一)(2)の認定事実によっても、被告のいう会社倒産に、本件預金の払戻金の使途をどうするかということのほか、前記手形貸付けが遅滞に陥っていたこと、被告の原告以外の金融機関からの借入れの状況、自宅不動産の譲渡所得に係る所得税等の納付資金の調達が失敗に終わったことなどの、各般の要因が与っていることは明らかである。被告が原告に会社を潰されたという摘示は、それらの要因の一箇に過ぎない本件預金の払戻金が借入返済に充てられたという事実のみを取り上げ、これが会社倒産の唯一の原因であるとするに等しいものであって、この点においても、事態の正しい観察に立脚した表現とはいい得ない。
以上いずれにせよ、被告の右摘示が真実を表現したものであるとはいうことができない。
(三) したがって、被告の前記行為につき、その摘示事実が真実であることを前提とする主張を容れる余地はない。前記行為に違法性がないとする被告の主張は、その余の点についてみるまでもなく理由がないこととなる。
3 前記第二の二の事実及び右2の認定判断によれば、被告の前記行為は、原告の取引に関し虚偽の事実を流布するものでもあり、かつ、その摘示事実に接した顧客の中からは、原告との取引の開始、継続を思いとどまる者が現れたとしても不思議ではないところである。
してみると、前記行為は、原告の業務遂行を阻害するものというべく、その営業権を侵害する不法行為にも当たると解するのが相当である。
二 本訴損害賠償請求について
前記一1にみた被告の名誉毀損行為の態様及び反覆継続の状況に、原告の目的及び業務を併せ考慮すると、原告が右名誉毀損行為について支払を受けるべき慰藉料の金額は、一〇〇万円とするのが相当である。他方、前記一3の原告の営業権の侵害については、原告との取引を思いとどまり、又は取引を取り止める者が現れ、そのため、原告がそれらの者との間の取引によって得べかりし利益を失ったことについては、未だ具体的事実が十分に主張立証されているとはいい難いから、これによって原告が損害を被ったと認めるには足りないといわざるを得ない。
そうすると、本訴損害賠償請求は、右慰藉料一〇〇万円及びこれに対する賠償義務発生の後であり、記録上本件訴状送達の日の翌日であることの明らかな平成九年一〇月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があることとなる。
三 本訴差止請求について
被告が前示の不法行為を繰り返すおそれがあるかどうかについてみるに、1 前記一1にみた被告の名誉毀損行為の反覆継続の状況(被告は、本件仮処分決定がされた後にも、これによって禁止されたビラの配布及びプラカードの掲示を中止しなかったのであり、《証拠略》によれば、それらには、従来のものを一部改めた文言が記載されていることが認められるが、前記一1に判示したとおり、その文言も、従来のものと趣旨を異にするものではなく、原告の名誉、信用を毀損することに変わりはないから、それらの行為は、本件仮処分決定に抵触するものであり、このことは軽視し得ない。)に、2(一) 被告は、本人尋問において、今後は本件ビラの配布及びプラカードの掲示をするつもりがないと述べる一方で、そのような約束をすることはできないとも言明していること、(二) 被告は、原告に対し本件訴訟において別紙一差止行為目録記載の各行為をしない旨の和解をすることを約する旨の平成一〇年一二月八日付け確認書に自署して実印を押捺した上、印鑑登録証明書を差し出した(《証拠略》によってこれを認める。これが木下らの強制によるものであるかのようにいう乙第一五、一六号証の被告の供述記載は、それ自体において不合理な点を含むものであり、措信に値しない。)にもかかわらず、平成一一年一月一八日の本件第五回弁論準備手続期日においてそのような和解に応ずる意思はない旨を述べたことから看取される被告の抗争態度を併せると、被告がこれまでと同様の名誉毀損行為を繰り返すおそれは小さいものとはいえない。
そして、被告の行為の態様と原告の業務及び目的とを併せ考慮すると、原告は被告の本件ビラ及び前記プラカードと同旨の表示による名誉毀損行為の差止めを求める必要性があるものと認められる。
そうすると、原告は、被告に対し、前記一の不法行為に基づき、別紙一差止行為目録記載の各行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。
よって、本訴差止請求は理由があることとなる。
四 本訴違反金請求について
本訴違反金請求は、本訴差止請求に係る被告の不作為義務の間接強制としての金員の支払を命ずる給付判決を求めるものであるが、前示のとおり被告のビラ配布及びプラカード掲示の行為が原告に対する不法行為に当たり、本訴差止請求も理由があることを前提としてみても、以下のとおり、右のような間接強制としての金員の支払請求権を原告が有すると解すべき法律上の根拠は見出すことができない。
すなわち、不作為義務の間接強制としての金員の支払は、民法四一四条三項にいう「其為シタルモノヲ除却」することには当たらない。また、同項は、債権者に「適当ノ処分」の給付請求権を付与したものとは解し難い。他方、原告は、本訴差止請求の認容判決(本判決主文第二項)が確定した場合には、これを債務名義として、民事執行法一七二条一項に基づき、執行裁判所に対し、遅延の期間に応じ、又は相当と認める一定の期間内に履行しないときは直ちに、債務の履行を確保するために相当と認める一定の額の金銭を原告に支払うべき旨を被告に命ずる方法による強制執行を申し立てることができると解されるが、同項の規定も、債権者に債務の履行を確保するために相当と認める一定の額の金銭の給付請求権を付与したものとも、債権者が実体法上そのような給付請求権を有することを前提とするものとも、解することができない。そのほか、右のような間接強制としての金員の支払請求権の根拠となると解し得る規定は見当たらない。
そうすると、本訴違反金請求は失当である。
第四 結語
よって、本訴損害賠償請求は前示第三の二の限度においてこれを認容し、その余は棄却し、本訴差止請求は認容し、本訴違反金請求は棄却することとする。
(裁判官 長屋文裕)